中津沖代ライオンズクラブオフィシャルサイト
 
Liberty,Intelligence,Our Nation's Safety>>自由を守り、知性を重んじ、われわれの国の安全をはかる
 
中津市紹介

中津とは中津市のお祭り中津地区三光地区本耶馬渓地区耶馬溪地区山国地区

中津地区
 
●中津城
中津城

奥平藩10万石の居城跡。昭和39年に再建され、
城下町中津のシンボルとなっています。

中津城は、黒田官兵衛孝高(如水)が、豊臣秀吉より豊前6郡を拝領し、豊前海に臨む山国川河口の地に築城したのが始まりです。後に細川忠興が大修築し、小笠原家、奥平家の居城となりました。
当時の中津城は、北部九州の雄藩にふさわしい威容を誇り、城内の形状が扇形をした地形から、「扇城」とも呼ばれていました。
現在の城は、昭和39年に再建したもので、五層の天守閣と二層の櫓からなっています。
城内には、衣装、刀剣、陣道具、古絵図、古文書など興味深い資料が展示され、一般に公開されています。

かつて城下町として栄えた名残が、随所に残っています。 中津市内の金谷町や仲間町、寺町、そして鷹匠町などに土塀や白壁、 格子戸などが残り、往時の様子をほのかにうかがわせています。

●福沢旧居
福沢旧居  福沢諭吉が起居した田屋と、自ら改造し勉学に励んだ土蔵が残っています。
また隣接する記念館には、諭吉に関する様々な資料が展示され、その一生がつぶさに見られます。
福沢諭吉の略年表はこちら
●自性寺 大雅堂
自性寺 大雅堂 南画の大家、池大雅が滞在。
その書画47点が 保存、展示されています。
自性寺は奥平藩歴代の菩提寺です。藩祖信昌公が、三河新城にいた時、 金剛山万松寺と称して創建。その後いく度か藩の転封に従い、移り、 1711年(享保2年)、6代藩主昌成公の時、中津に転封。1745年(延享2年)、 自性寺と改称します。 12世提洲和尚が、1764年(宝暦14年)、住職として赴任の途中、京より、 池大雅夫妻を伴い、自性寺にきました。 池大雅は、九州の美しい景色にふれて、自由に筆をふるいました。 これらの書画は1778年(安永7年)、書院の襖に貼られます。後、 十代藩主昌高公が「大雅堂」と染筆、扁額を掲げてから、この書院を 「大雅堂」と呼ぶようになりました。
●池大雅
池大雅 日本的南画を完成した天才画家であり書家。

1723年(享保8年)5月4日、京都で生まれました。3才の時、 すでに書を書き、幼年の頃より、神童といわれていました。 14才の時、当時、第1級の文化人であった柳沢淇園に会い、知遇を 得ます。その後、技術的洗練と個性を加えて、日本的南画を完成。 29才の時、白隠禅師に参禅し、絶対的な自由の境に至り、ついに 自身の書画の境を確立しました。自性寺の作品が、大雅の真骨頂を 表わす名品と評価されるのは、白隠門下の同参である提洲和尚、 修行僧らと寝食を共にし、画題、時間などの制約を受けることなく 自己の内面を自由に表現したものだからといわれています。 池大雅の作品が、一堂に揃っているのは全国的にも貴重です。
中津沖代ライオンズクラブ事務局
大分県中津市中殿560-2  TEL0979-24-3732 FAX0979-24-3974

copyrightc2011 NAKATSU OKIDAI LIONS CLUB, All rights reserved.